ビーガン・アスリートYoshiのトライアスロン挑戦ブログ

2017年の夏からトライアストン挑戦を目指して持久系のトレーニングを始めました。年齢が50代に至るまで運動経験はほぼゼロに等しい状態でしたが、およそ半年のトレーニングでロードバイク平均100km(1日の最大走行距離は200km)、2日に一度の20Kランが可能な状態まで徐々に身体能力が向上してきました。スイミングはまだ基礎練習で足踏みしている状態なので、まだまだレースに参加するレベルではありません。

バイクの第一歩(1/2)

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2017年の6月頃から毎朝、通勤・通学車(通称ママチャリ)で12kmほどの距離を走っていた。当時の住居は京都の東山だったので鴨川沿いを北上して北大路のちょっと先ぐらいまでの往復を日課としていた。この時はまだトライアスロンに挑戦することなど想像したことすらなく、あくまで軽い運動として朝のママチャリサイクリングを楽しんでいた。

京都市内はフラットでコンパクトな街なので、雨さえ降っていなければ市内の移動は自転車が一番便利な交通手段となる。京都に住み始めた2011年から買い物も通勤も自転車を積極的に利用していた。ママチャリは必要を満たすにじゅうぶん役にたっていたので、スポーツタイプの自転車を購入することは全く考えたことがなかった。

「これまでのこと」で記した通り、食事を変えたことで疲れ知らずとなり、朝のサイクリングでは満足できなくなってきたため、7月の中旬からは昼間の照りつける太陽が沈んだあとにアマゾンで買った強力なライトをママチャリに付けて、片道23キロ先の八幡のコストコまで夜間の河川敷サイクリングコースを日課としていた。始めは片道2時間近くかかっていた時間が次第に短縮されて、8月の終わりには3時間程度で特に疲労を感じる事なく往復できるようになった。

始めはお尻や手首が痛くて、帰路は何度も休憩を挟んでのろのろと走っていたが次第に痛みを感じる事なく快適に走れるようになった。当時(といってもわずか1年前)を今振り返ると、交換用のタイヤチューブや工具類などを携帯せずに、自転車店が閉店している夜間の時間に街頭もない河川敷を走る無茶を毎日続けて(そもそも無茶な事だとう認識がなかった)、一度もパンクのトラブルに泣く事がなかったのは恐ろしく幸運だ。やはりママチャリという自転車が実用的でタフという事なのだろうか。

河川敷で私が最大限に近いペースで走っていても、後ろから迫ってくるロードバイクにあっさり抜き去られる事を何度も経験するうちに、スポーツタイプの自転車に興味が湧いてきた。「もっと遠くまで、もっと早く、ロードバイクの彼らのように走ってみたい」と思い始めた。同時にトライアスロンのオリンピック・ディスタンスの自転車走行距離は40kmである事を知り、ママチャリで46kmを毎日走っている自分がなんだか誇らしく思えるようになってきた。「無知ということは恐ろしい」ことではあるけれども、これが私が「トライアスロン」を意識した最初の瞬間だった。

これまでのこと(5/5)

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前置きがやや長くなってしまったが、マクロビと決別して以降、ローフードを自身の食生活に据えている。より詳しく言うと「低炭水化物の生菜食」となるだろうか。生菜食なので米やパスタは食べない。けれども切り替え後3年間ぐらいは少量のパンを毎日食べていた。2018年3月まで住んでいた京都・大阪には素晴らしく美味しいブーランジェリー(パン屋さん)が東京に比べて圧倒的に多いので、少量のパン(バケット類)を食べる事を楽しんだからだ。しかし、パンも2017年の夏に常食を中止した。そして、すぐに驚く変化が訪れた。

グルテンフリー」という言葉を耳にされた方は多いはずだ。私の場合も小麦に含まれるこのグルテンを辞めた事で例えるならば車のエンジンをロケットエンジンに載せ替えたほどの効果を感じた。グルテンを辞める以前、猫好きの猫アレルギー(猫喘息)持ちの私は、もしもに備えて気管支拡張剤(メプチン・エアー)が手放せなかった。春は花粉症で5月ごろまで目鼻がボロボロになった。今は猫とどんなに濃密なコンタクトをしても私の気管支粘膜は無反応で、何十年も苦しんだ花粉症からも完全に解放されている。

既述の通りマクロビ食時代には花粉症、猫アレルギー、冬場の肌荒れ、冷え、食後の眠気、日中のだるさ、疲労感、身体の凝り、肥満、耳鳴りなどの未病的な不調から解放されることはなく、むしろ加齢と共に悪化していた。食事を低炭水化物ローフードに変えたことによって現在は上記全ての症状が消失している。

特筆すべきは、それらの未病症状が消失しただけではなく、次第に逆方向に加速し始めたことだ。疲れ難く、疲労しても回復は早く、睡眠時間は短く、日中の意識は明瞭、メンタル面もポジティブな気持ちで過ごすことができるようになった。

それぞれの未病症状の改善はどこかの時点で一気に訪れた訳ではなく、全てをはっきりと自覚するまでに2年ほどの時間を費やした。今では4〜5時間の睡眠時間で1日おきに20kmの距離を走ってもほとんど負荷を感じない。ランニングは早朝5時〜7時の間に走っているので、夜9時ごろまで1日フルに活動しても朝の疲れを終日引きずる事はない。仕事の前には30分間ジムのプールで毎日スイミングの練習もしている。バイク(ロードバイク)のトレーニングは不定期だが今では100kmという走行距離に負荷はほとんど感じず2017年の晩秋には最長1日で200kmを走行している。

なぜ、こんな事が起こり得るのか、始めは理由がわからず当惑するばかりだった。身体能力が突然アンロックされたような感覚だった。カロリーベースで考えれば1日に摂取しているカロリーはせいぜい1000kcal程度なのに空腹感を全く感じる事なく1日中エクササイズを続けてもほとんど疲労せず、夜はぐっすり眠れて翌朝には完全に回復している。日々ネットでその理由を探り、そしてある日、ついに確信に近い理由を見つけ出した。

Brendan BrazierRich RollScott Jurek、(その他多数)などのビーガン・アスリート達は植物性のダイエットのみで数々のレースに参加して数多くの実績を残している。私にとって特に衝撃的だった事は2008年にハワイで行われたBrendan BrazierのスピーチYouTube で見つけた事だった。そこで彼が語っている事は私の疑問の多くに答えを与えてくれていた。まさにジグソーパズルのラストピースを見つけたような気分だった。スピーチの内容については後日このブログの中で紹介してゆきたいと考えている。

最後に私自身のトライアスロン挑戦と、このブログを始めた動機を端的にまとめると、「食事をローフードに変えた事によって思いがけず訪れた心身の激変と、エクササイズの過程」をブログに記録して、興味を持っていただける読者の方々とその内容を共有する、ということになる。それ以外の他意は何もない。

食事は基本的に1日1食でおよそ90%以上がローフードだ。食事としては毎日、生野菜のサラダを食べている。京都では朝1食のルーチンだったが、今は食事時間を夕方に変更している。朝や日中のスナックはスムージー(ケールや小松菜と果物)、果物(生、乾燥、冷凍)、ナッツ類(生くるみ、生アーモンド、ピーナッツ)、ココナッツオイルを食べている。なので、厳密には完全な1日1食ではないかもしれない。加熱食として食べているのはサラダと一緒に食べる少量のキヌア、紅茶やコーヒーに入れる豆乳、たまにコンビニで買うおやつの芋けんぴやピーナッツ、ランの前だけにブースターとして食べる切り餅1個のみだ。

2017年夏〜2018年3月までの食事内容を下記のインスタグラムに記録しているので興味があればアクセスして欲しい。

www.instagram.com

これまでのこと(4/5)

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マクロビを初めてからの最初の20年間はクローン病の再発や投薬を受けるほどの体調不良を経験する事は無く概ね健康ではあったが、実は自信たっぷりに健康的という訳でもなかった。花粉症や猫アレルギー(猫喘息)が改善する事は無く、冬場の肌荒れと冷えは耐え難いほどの苦痛だった。食事の後は眠気に襲われ、7〜8時間の睡眠をとっていても日中は常にだるさと疲労感を感じる状態が続いていた。さらに40歳を過ぎて、これらの病気未満の不調はさらに酷くなり、次第に身体の凝り、肥満、耳鳴りという症状に悩まされるようになってきた。そしてマクロビ生活27年目が過ぎた夏の終わりのある日、突発性難聴で右耳の聴力を失なった(後に6割程度回復)。さらにその数年後、同じマクロビ生活を送っていた家族も健康を損なう危機に直面した(家族の件についてはこの場ではあまり詳しく書かない事をお許しいただきたい)。

マクロビ、ビーガン、無農薬、オーガニック、地産地消、こだわりの〜、身体にやさしい〜、これら生活の支柱に据えていた信念の全てが一旦完全に崩壊した。何が間違いで何が正解なのか。多くの疑問と自問自答の日々が続いた。そしてたどり着いた答えが最もシンプルでミニマルな「ロー・フード」だった。

少し話がそれるけれども、肉、魚、卵、乳製品など動物性の食品を一切摂らない事を人に伝えると、奇異に思われて何かの宗教か危険思想の持ち主なのかと詮索される事がある。確かに食の倫理や動物の権利について敏感に感じる事はある。それでもやはり、私は人の食生活や人生について積極的な興味がない。その人が日々何を食べて、人生で何を志向して、健康についてどう考えているのか。それらについてあまり興味がないのでビーガニズムを啓蒙しようなどと考えた事は一度もない。なので、今この記事を読んでいただいている方々に対しても私のようなライフスタイルを勧めたり、誘導する意図は全くない。

何が言いたいかというと、私は自分にとっての最適な食事とバランスを探る事を喜びと感じていて、大袈裟に言うとダイエット(減量という意味ではない)を「冒険をいとわない人生の旅の重要な目的の一つ」に据えている。また、何かを我慢していたり、決してストイックな訳ではない。「チャレンジャー」と理解してもらえれば簡単だろうか。明確な答えが判らないのでおそらく間違う。だが、道を逸れたらその都度修正すれば良いと考えている。そして一つのマイルストーンとして「マクロビは不正解」というパーソナルな結論に及んだ。「ロー・フード」が本当に正解なのかどうか、今はまだ判らない。それでも私の菜食人生の旅はマラソンのようにこれからも続いてゆく。

これまでのこと(3/5)

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20代はガチガチの玄米菜食信者だった。なにしろ深い病気の闇からV字回復できた事は玄米菜食のおかげと思えたからだ。後に、小倉先生が提唱する玄米菜食はマクロビオティック(通称マクロビ)創始者として知られている桜沢如一氏による陰陽理論を交えた食事法の考え方に近い(完全に同一ではない)事がわかった。なので、次第に自分はマクロビをフォローしているのだと認識するようになった。

マクロビでは主食を玄米に、副食の野菜を陰性、中庸、陽性に分類して色や形、ナトリウムとカリウムのバランス、その植物が重力に対してどのように成長するかという性質を見極めて基本的に塩を効かせてクタクタになるまで煮込んで(陽性にして)から野菜を食べる。例えば、なべの底には陰性の野菜(葉野菜や、成長期間が短い野菜、丸い野菜)を入れて、上の方には陽性の野菜(成長に時間のかかる野菜、重力に逆らって成長する野菜、寒い時期に成長する野菜)を入れて、塩または醤油を加えて弱火で長時間煮込んで食べる。こうする事で陰陽が鍋の中で出会い陽性の安全な食べ物に変容させる事ができるという考え方だ。生野菜は身体を冷やす陰性の食べ物に分類されるので真夏のごく短い期間を除いて食べない方が良いとされている。また、食べる野菜は自分が生活する同じ気候帯で収穫された植物に限られるため、バナナなどの熱帯の果物は食べない事を推奨している。そのほか、肉、魚、卵、牛乳、砂糖、全ての精製食品は口にしない。野菜は完全無農薬、塩や調味料もオーガニックのものに限られる。

私はこのような荒唐無稽な理論を疑う事なく信じ続けていた。だが今は全く信用していない。なぜならマクロビを30年間に渡って継続した結果、私も家族も健康を害してしまったからだ。例えるならマクロビをやりすぎて逆側に突き抜けてしまったという感じだろうか。実は、マクロビを長期間継続した末に健康を害してしまう例は非常に多い。アメリカでマクロビ普及に尽力していた世界的に有名な指導者夫婦は2人ともガンで亡くなっている。

振り返って考えると、自身の危機を克服した最大の要因は玄米菜食そのものではなく、副次的な要因、つまり炭水化物や糖類を大幅にカットした低糖質食が主因なのではないかと考えている。加えて動物性の食事を摂らない事で腸管内での腐敗によって発生するアンモニア硫化水素などの有害物質の処理から身体が解放されるので負担が軽くなることはおそらく間違いないと、素人ながら考えている。

長い間、マクロビ実践者は偏屈で変わり者という差別的なレッテルを貼られ続けていたように思う。だが今では女性誌やネットの健康情報記事などでは健康食の代名詞として無根拠に定着してしまった

5年前、私はマクロビと完全に決別した。そして180度転換してロービーガン食(生菜食)に食事を変えた。パラダイムシフトというと大げさだが、生食を避けていたそれまでの食べ方から、ほぼ生しか食べない食生活に大転換した。以来、日々ローフードの素晴らしい効果に圧倒され続けている。

マクロビ時代(後期)の食事の記録が下記のサイトに残してある。

i2yoshi.blogspot.com

 

 

これまでのこと(2/5)

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幼年期〜十代の私は学校で一番の肥満児でワガママ放題に育った完全なダメ一人っ子で、とにかく体を動かすことが嫌い、甘いお菓子やジュース、肉類が大好きで、忍耐力はゼロ、嫌な事からはとことん逃げることしか考えない最悪な少年だった。

そんなダメ青年が19歳で早くも生きるか死ぬかの人生最初の大きな試練に直面した。数ヶ月間、高熱と下痢が続き、近所の複数の病院の診察では原因が特定できず、最終的に都内の大学病院でクローン病と診断された。当時の担当医からは「クローン病はいったん治癒しても再発を繰り返す病気なので、成人病が20年早く訪れたと思ってください」と言われた事を覚えている。クローン病は自分で自分を攻撃する自己免疫疾患で、厚生省から難病に指定されている。主に小腸、大腸に炎症を起こして栄養が吸収できなくなる。外科的治療を避けてステロイドを使う場合もあるが、胃腸を刺激しないように栄養パウダーを水で溶いた流動食を摂取しながら炎症がおさまるのを待つという栄養療法が今も標準的な治療らしい。

食べて良いものとダメな物がリスト化されていて、野菜などの繊維質を多く含む食品はほぼ除外される。できるだけ胃腸を刺激しないようにベビーフードのような低繊維食とエレンタールという人工栄養パウダーで生活する事が推奨されている。

2ヶ月間の入院期間中はその流動食も口径摂取ではなく、鼻から十二指腸までの細いチューブを入れて、胃腸に負担をかけないように24時間断続的に栄養液を点滴スタイルで注入するという治療が行われた。

そんな状況の中で人生の大転機が大学病院併設の医学書店で偶然に手にした一冊の本によってもたらされた。玄米菜食と1日10kmのランニングを軸に患者自身の自然治癒力を活かして難治症疾患を治療する小倉重成先生という医師の本だった。

入院治療の結果、小腸の潰瘍は治癒したものの、身体は極端に体力が落ち込みほとんど生気の無い状態だった。さらに退院から1ヶ月後、網膜中心静脈閉塞症によって右目の視力が極度に低下した。このとき医師からは安静に過ごすようにと言われた。

一難去ってまた一難。奥深いトンネルの闇に吸い込まれて行くような絶望感だった。「どうせダメならあの本、やってみよう。。」。それまで嫌な事からは何が何でも逃げる道しか選んでこなかったダメ青年が追い詰められた状況で内なる声に真摯に耳に傾け、あえて進んで苦難な選択をした最初の決断だった。

病院から渡された薬を全部ゴミ箱に捨てた。医師からの安静保持の指示を無視して、新御茶ノ水のYMCAジムに入会して体育館のラントラックを毎日10km走った。食事は本に書かれている通りの一日一食の玄米菜食のみ。最初の1ヶ月間、病状の変化は無かった。1ヶ月半を過ぎた頃、視力に変化が起きた事を自覚した。選んだ方向は間違いではないと確信できた事がとにかく嬉しかった。2ヶ月目に入った頃、視力は完全に回復していた。同時に生気を失っていた身体も活力を取り戻す事ができた。以降、今日に至るまでクローン病も再発していない。

今でも当時の自分の判断を誇りに思っている。そしてなにより私の人生を変えるきっかけを与えてくださった小倉重成先生に感謝している。その後は現在に至るまで肉食に戻る事なくベジタリアン、ビーガンとして生活している。だが5年ほど前、ある事情によって30年近く継続していた玄米を主食とするマクロビ菜食スタイルとも決別する事となる。

 

これまでのこと(1/5)

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京都の鴨川の右岸を五条大橋付近から四条方向に走り始めてほんの数分。太腿の筋肉が悲鳴をあげてあっけなく初ランニングをリタイア。走行距離をアプリで確認するとなんと、たったの200mだった。

2017年8月4週目のある日、その日までの1ヶ月半の間、東山の自宅から鴨川〜桂川〜八幡のコストコまで日没後の夜間に往復46kmのサイクリングをほぼ毎日続けていたので、5km程度のランニングは無難に走れるはずと甘く考えていた期待は無残に打ち砕かれてしまった。

自転車(通勤・通学車)での走行距離は10km程度からスタートして、やがて50kmの距離を難なくクリアできる頃には、誰かに積極的に自慢できるほどの成果ではないにしても、小さな達成感が積み重なって、ゆるぎない自信として結晶化し始めていた。

それまでの人生で自転車で50kmの距離を走った事などなかったので、50歳を過ぎた自分にも数時間持続可能な運動能力があったという事に驚くと同時に、エクササイズを始めたそもそものきっかけである「低糖質ロービーガン・ダイエット」について、これほどの活力が一体どこからもたらされるのか?答えを導きだせないまの疑問が常に頭の中にあった。