ビーガン・アスリートYoshiのトライアスロン挑戦ブログ

2017年の夏からトライアストン挑戦を目指して持久系のトレーニングを始めました。年齢が50代に至るまで運動経験はほぼゼロに等しい状態でしたが、およそ半年のトレーニングでロードバイク平均100km(1日の最大走行距離は200km)、2日に一度の20Kランが可能な状態まで徐々に身体能力が向上してきました。スイミングはまだ基礎練習で足踏みしている状態なので、まだまだレースに参加するレベルではありません。

これまでのこと(2/5)

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幼年期〜十代の私は学校で一番の肥満児でワガママ放題に育った完全なダメ一人っ子で、とにかく体を動かすことが嫌い、甘いお菓子やジュース、肉類が大好きで、忍耐力はゼロ、嫌な事からはとことん逃げることしか考えない最悪な少年だった。

そんなダメ青年が19歳で早くも生きるか死ぬかの人生最初の大きな試練に直面した。数ヶ月間、高熱と下痢が続き、近所の複数の病院の診察では原因が特定できず、最終的に都内の大学病院でクローン病と診断された。当時の担当医からは「クローン病はいったん治癒しても再発を繰り返す病気なので、成人病が20年早く訪れたと思ってください」と言われた事を覚えている。クローン病は自分で自分を攻撃する自己免疫疾患で、厚生省から難病に指定されている。主に小腸、大腸に炎症を起こして栄養が吸収できなくなる。外科的治療を避けてステロイドを使う場合もあるが、胃腸を刺激しないように栄養パウダーを水で溶いた流動食を摂取しながら炎症がおさまるのを待つという栄養療法が今も標準的な治療らしい。

食べて良いものとダメな物がリスト化されていて、野菜などの繊維質を多く含む食品はほぼ除外される。できるだけ胃腸を刺激しないようにベビーフードのような低繊維食とエレンタールという人工栄養パウダーで生活する事が推奨されている。

2ヶ月間の入院期間中はその流動食も口径摂取ではなく、鼻から十二指腸までの細いチューブを入れて、胃腸に負担をかけないように24時間断続的に栄養液を点滴スタイルで注入するという治療が行われた。

そんな状況の中で人生の大転機が大学病院併設の医学書店で偶然に手にした一冊の本によってもたらされた。玄米菜食と1日10kmのランニングを軸に患者自身の自然治癒力を活かして難治症疾患を治療する小倉重成先生という医師の本だった。

入院治療の結果、小腸の潰瘍は治癒したものの、身体は極端に体力が落ち込みほとんど生気の無い状態だった。さらに退院から1ヶ月後、網膜中心静脈閉塞症によって右目の視力が極度に低下した。このとき医師からは安静に過ごすようにと言われた。

一難去ってまた一難。奥深いトンネルの闇に吸い込まれて行くような絶望感だった。「どうせダメならあの本、やってみよう。。」。それまで嫌な事からは何が何でも逃げる道しか選んでこなかったダメ青年が追い詰められた状況で内なる声に真摯に耳に傾け、あえて進んで苦難な選択をした最初の決断だった。

病院から渡された薬を全部ゴミ箱に捨てた。医師からの安静保持の指示を無視して、新御茶ノ水のYMCAジムに入会して体育館のラントラックを毎日10km走った。食事は本に書かれている通りの一日一食の玄米菜食のみ。最初の1ヶ月間、病状の変化は無かった。1ヶ月半を過ぎた頃、視力に変化が起きた事を自覚した。選んだ方向は間違いではないと確信できた事がとにかく嬉しかった。2ヶ月目に入った頃、視力は完全に回復していた。同時に生気を失っていた身体も活力を取り戻す事ができた。以降、今日に至るまでクローン病も再発していない。

今でも当時の自分の判断を誇りに思っている。そしてなにより私の人生を変えるきっかけを与えてくださった小倉重成先生に感謝している。その後は現在に至るまで肉食に戻る事なくベジタリアン、ビーガンとして生活している。だが5年ほど前、ある事情によって30年近く継続していた玄米を主食とするマクロビ菜食スタイルとも決別する事となる。